青い稲穂が、医王山からの風になびく。 井波から城端への道はまっすぐ伸びていた。 勇太郎が運転する車は北野の交差点に差し掛かった。 「まっすぐ町並みを通るとするか。」 舟川を渡って城国寺脇を過ぎ、ここを右折して、西町通りに出る。 「城端に着いたのね。」 助手席で居眠りをしていた妻の由梨が起き上がって、サングラスを外した。 車は、善徳寺前の交差点を右折した。 「わお〜。すご〜い。」
由梨の声に勇太郎が驚いた。 壮麗な善徳寺山門はいつ見ても感動がある。 「車を止めようか。」 太鼓堂の脇の路地を曲がって、駐車した。
太陽がまぶしい。 今日も暑いな。 「本堂へ行きましょうよ。」 「おいチョッと待てよ。庫裏から入ろう。」 「ここから入るの。」
「何よここ。傾いているじゃない。」 「庫裏を立て替えたとき、北側を埋めて建てたんだけど地盤が弱かったんだね。」 「この庫裏は近在の十村屋敷を移築したそうだよ。」 「あなた詳しいのね。」 「そうさ。今日で三回目だよ。」 黒光りする庫裏に上がる。 「広い大広間ね。」 「奥に御殿があるけど、まず本堂にお参りしよう。」 暗い廊下を抜けて、黄金色に光る本堂に参拝する。
「ずいぶん涼しいわね。」 勇太郎はゴロリと横になった。 「由梨、御殿を案内してもらえよ。」 「おれはここで少し横になる。」 「一大事でござる。」 「戦(いくさ)でござる。」 「石山の御坊に織田が攻め寄せてございます。」 善徳寺門前が突然騒がしくなった。 元亀元年(1570)9月、本願寺顕如は、織田信長と相対して諸国の門徒に檄文を送り、大坂石山本願寺で挙兵したのである。
文明年間、本願寺八世蓮如が北陸巡行の折、加賀と越中の境、砂子坂道場で善徳寺を創建してからおよそ百年が経っていた。 それから、善徳寺は法林寺、山本、福光と移転し、永禄2年(1559)に城ヶ端城主、荒木大膳に招かれて屋形の北西の台地に坊舎を構えた。 「大坂より密書が届いたそうな。」
城ヶ端の南東から少し下って理休村が開けている。 鎮守の八幡社は騒然としていた。 やしろには名主の横山四郎右衛門を始め、理休の長老など、宮座の面々が参集している。 大きな杉木立の中に、拝殿に面して篝火が炊かれている。 村の主要な事項は、拝殿の前での宮座の場で決められる。 座では、善徳寺の模様が刻々と知らされた。 「昨夜は五箇山漆谷のご一党、63名が名号に血判して御参陣されたと申しておりまする。」
長老の三郎衛門が諸役の面々に地域の状況を報告する。 座がざわめく所に、善徳寺に詰めていた若等が走り寄ってきた。 「只今、新川郡太田郷より、新名専立寺法順殿、三室荒屋善照寺乗信殿、大浦真成寺慶乗殿が門徒50騎ばかり引き連れ、着陣なされました。」
「城端善徳寺は蓮如上人さま開基の寺なれば、ご住職さまを筆頭として、大坂に参陣されるべしという話でございます。」 「なんと。」 「しかし、ご住職の祐勝どのは病気味じゃ。」 「しかも海が荒れるこの季節に大坂へ向かうとはのう」 三郎衛門がしわくちゃな顔をしかめる。 宮座で協議しているところ、善徳寺から使僧が来た。 「ご本寺の一大事につき、住職に代わり、空勝どのが門徒衆三百騎を率いて大坂に参陣致されるご所存にございます。」 「つきましては、理休ご一党にも軍役の寄進をお願い致したくまかりこしました。」 「していかなる役にてござろうか。」 上座に着座する険しい表情の四郎右衛門が尋ねる。 「五箇山では硝煙を作っておりまする。」 「合戦では鉄砲の硝煙がたくさん必要でござる。」 「この五箇山の硝煙を大坂に運ぶのでございます。」 「大坂までどのように運ぶのでござろう。」 「五箇山の硝煙を一度蔵に入れまする。」 「船便が整ったら、山田川の船着場から小矢部川を下り、放生津から船出をして中国の毛利どの領国まで運び、ここから大坂に入れます。」
放生津には、大坂や堺から商人達が交易に船を乗り入れていた。 「五箇山からの硝煙は、五箇山衆が行うとして、硝煙蔵の普請をお願いしたいのですが。」 「本件も含め、明日軍議を開催致したく、ご参加下さります様お願い申し上げます。」 使僧は用件を述べると早々に帰っていった。 「今まで、この地は戦(いくさ)とは無縁の地であったが。」 「大坂に出陣するとなると、越後の上杉謙信がだまっておりませぬ。」 「織田信長と謙信は同盟を結んでおりまする。」 「必ず、この地に攻め寄せて参りますぞ。」 「この地に堅固な城を築かねばなりませぬ。」 宮座では議論が伯仲し、夜更けに及んだ。 文明13年、福光城主石黒光義が田屋河原で敗れて以来、石黒氏の旧領は、小矢部川以西は本願寺領、以東は井波の瑞泉寺領となった。 本願寺領は、実質は、善徳寺と勝興寺が半領づつ分け合った。 実質は、本願寺領は、善徳寺がこの一円の支配を行っていたのである。 城ヶ端一円は、鎌倉以来の越中の国人である荒木大膳の所領であったが、時の勢いには抗すべくも無く、荒木大膳は、大半の所領を善徳寺に寄進した。 翌朝、横山四郎右衛門は善徳寺に向かった。 手には、この朝採ったかぶらを手にしている。 後から四郎右衛門の背丈の半分も無い、四郎右衛門の子の「ゆき」が付いて来る。 四郎衛門は池川を渡り、三蔵坊の坂を上がる。 秋もゆっくりと深くなっていく。 坊の背後の、宥音塚の林も色付き始めた。 坊の門をくぐると、住持の読経が聞こえる。 「和尚」 大きな声が狭い坊内に響いた。 「これこれ四郎どの、大声を出さなくても聞こえて居るぞ。」 住職はにこやかな顔を覗かせた。 「おう。ゆきか。」 「御坊、戦が始まりそうじゃ。」 四郎右衛門は手にしたかぶらを放り投げた。 ゆきがそれを拾いに本堂に駆け寄った。 「囲碁どころではないの。」 三蔵坊玄祐は囲碁の名手である。 囲碁は、大陸から伝来したが、僧の修行の一つに囲碁があった。 「それはそれ、これはこれでござろう。」 「寺から戻ったら、お手合わせ願いとう存ずる。」 「ワハハ。・・・」 玄祐の笑い声が響いた。 「ゆき殿。手習いでもして父上の帰りを待つことにしようかのう。」 ゆきがコックリ頷いた。 四郎右衛門は坊の門を出た。 三蔵坊から見上げる一町先の台地の上には、荒木大膳の屋形がある。 屋形の周囲には深い濠を巡らすが、その濠に沿って小径が通じている。 身分によって通る道が決まっているのだ。 台地に上がると水月庵の森が見える。 この水月庵の正面の道まで進み、北に折れると善徳寺寺内町が広がる。 寺内町の辻には警護の兵が置かれ、境内は甲冑の武者の幕営地となっていた。 善徳寺本堂は、参集案内を受けた僧や近郷の名主・土豪で埋まるばかりである。 皆、殺気立っている。 正面には、住職の祐勝。その脇には、ひとまわり体格の大きい、副住職格である空勝が座している。 空勝は、鼻筋が通り、凛々しい面構えの僧である。 僧とはいえ槍の名手だ。
「今回の取り合いは、御法門の存亡がかかっておる。」 空勝のひときわ大きな声が堂内に響く。 「また、東よりは上杉謙信が迫っておる。」 「我らが大坂の御本寺に赴くに当たり、心痛いのは城ヶ端の守りと軍資金の寄進じゃ。」 空勝は、城ヶ端の行く末と蓮如以来の本願寺の危機を訴えた。 本堂は門徒衆で溢れかえらんばかりであった。 人込の中ですくっと立ち上がり、人垣を書き分けて前に進む者がいた。 「申し上げます。理休の横山四郎衛門にございます。」 「一言申し上げます。」 「おう申してみよ。」 空勝が許す。 「この城ヶ端、東は池川、西は山田川に囲まれた要害堅固の地にございます。」 「しかし、ここには東西の往来が通じておりまする。」 「往来には木戸もございません。戦になればひとたまりもございません。」 「荒木さまの御屋敷が南の守りとしても、北の守りは手薄でございます。」 「そこで北には出丸を築き、各口には木戸を構え、それらを繋ぐように逆茂木を置く必要があろうと考えまする。」 なるほどと、空勝は頷いた。 またそこへ、一歩進み出る者がいた。 「畑掃部でございます。恐れながら申し上げます。」 畑掃部は城端の南、大鋸屋に城を構える有力な豪族である。
「拙者の考えは、各地にある市を、城ヶ端に移して町並みを整え、更にここで商いを行い、ここで生まれる利益をお寺に寄進したら如何と存じます。」 「具体的に申しますと、井ノ口には、十日の市、山田には四日の市等がございます。」 「これを城端に集めてれば人が集まります。」 「人が集まれば、この人出を狙ってまた商いの人が集まります。」 「上方では、上方では、富田林で町並みを整え商いがたいそう繁盛しておるとか。」 「税を徴収するのではなく、あくまで阿弥陀さまの加護を願い、寄進して頂くのです。」 空勝はぐっと前に乗り出した。 「それは功徳を積む一石二鳥の妙案じゃ。」 「更にでございます。」 畑掃部は話を続ける。 「商いを行うのでございます。」 「商い・・・」 「してどのような商いが良いかのう。」 「絹でございます。」 「絹・・・」 空勝が顔を上げた。 「先日、水月庵で七日間祈願致しました。」 「すると夢枕に絹を織るようにとお告げがございました。」 「我ら一向門徒の北国船が、奥州から放生津にやって参ります。」 「五箇山の生糸を城ヶ端で織り、これらの船に積み込んで各地に売ることが出来ますまいか。」 「西国では、九州は元より、高麗にも船が出ている。北国では出羽の羽黒山が活発じゃ。」 「面白いかもしれぬのう。」
「では四郎どのを普請奉行として、城ヶ端を要害と致そうぞ。」 「絹は、畑どのにお頼み致そう。」 軍議を終えたのが昼過ぎであった。
「空勝さまが上方に出陣なさるそうじゃ。」 「殿さまが、普請奉行にお成りだとか。」 「何の普請じゃ。」 理休の横山屋敷は降って沸いたような騒ぎである。 座敷では、大きな絵図を挟んで町割りの議論が行われている。 四郎衛門は、善徳寺領内から、土木に心得のある者を七名集めた。 「お寺は東を向いておりますが、これは山科御坊以来、西方浄土の尊い考え方を現しております。」 「この東の山門からまっすぐ道を伸ばしましょうぞ。」 「町並みは、古来より田の形が最も良いのでござる。」 「山門からまっすぐ東に道をのばして、南は荒木殿のお屋敷ですから、町は北側に、このような形で・・・」 「工事は、稲刈りが終わって雪が降るまでと、雪解けが終わって、田植えが始まるまでが勝負じゃ。」 「あなた。御殿、立派だったわよ。」 突然、由梨の声が聞こえた。
「夢か。」 目を開くと、覗き込む妻の顔があった。 境内の樹木が風になびく。 せみの声が無性に大きく聞こえた。 |